いわゆる商業演劇とは違って小さな舞台で演ずるお芝居が多い。その中には『ちょっと違うよなあ』と思うお芝居もあれば、『ドンピシャ !』とはまるお芝居もある。いってみれば個人の嗜好に合うお芝居もあれば合わないお芝居もあり、それを承知で観劇しているのである。
2月中旬に久しぶりにシアターZOOに行き、『春の夜想曲~菖蒲池の団欒~』(作・演出・音楽:斎藤歩)を観た。いいお芝居であると聞き及んでいたが、実際に観てみるとまったく飽きさせないストーリー展開で、台詞もよくできているし、役者さんたちが実にいい演技をしていて大いに楽しませてもらった。
こんなお芝居を観た後は危ない。(笑)
気持ちよくなっているわけである。
こちらの気持ちを知ってか知らぬか定かではないが、終演後、あいさつした斎藤歩氏が一冊の文庫本の紹介をした。
それはお芝居に出演していた金沢碧さんが「あとがき」を書いた文庫本で、わざわざ東京から運んできた本だそうで、在庫は少なくなったが今買えば金沢さんのサインがもらえるという。
買わない、という選択肢はない。なにしろ気持ちよくなっているのだから。
その本がこれであった。
渡辺淳一『冬の花火』(集英社文庫、2010年11月)
渡辺淳一と聞けば、最近ではアイルケだし、ちょっと前は失楽園だし、かなり前は無影燈である。いうまでもなく、きれいにいえば大人の男と女の機微に触れた官能的小説といえるが、俗っぽくいえばエッチである。
その渡辺淳一が書いた本に金沢さんがあとがきを書いたということに興味が湧いたが、本書を読み、さらにあとがきを読んで合点が行った。
簡単にいってしまえば、本書は「伝記小説的」である。
帯広に生まれた中城ふみ子。
おぼろげながら名前だけは聞いた記憶があった。ただなぜ有名なのかまでは知らなかった(失礼ながらたいして興味もなかった)。今回初めて、中城ふみ子とはどのような方だったのかを知った。
中城ふみ子は、1954年8月3日に31歳の若さで病没した女流歌人である。中城ふみ子が読んだ短歌を織り交ぜながら、この女性のいきざまを描いたのが本書である。
・・・と、こう書くと何とも陳腐な表現とのそしりを免れない。しかしそれ以上でもそれ以下でもないというのが実感である。これは決して本書がつまらないということではない。むしろ面白かった。小生自身が知らない当時(昭和20~30年代)の帯広の街並み、東京の様子、国鉄による移動の大変さ、札幌医大の放射線病棟など、想像力をかき立てる描写で、あたかもその場で中城ふみ子を見ているような感覚さえ覚えた。読み手を引き込む描写は渡辺淳一の力量がいかんなく発揮されていて、『うまいよなあ』と感心してしまう。
そもそも「講釈師見てきたような嘘をつき」という言葉もあるので、伝記は作家がどれだけ想像力を働かせることができるかがポイントになる。司馬遼太郎などは歴史を扱った小説を多数物しているが、読み手を引き込む解釈と力量は見事である。ほれぼれする。
しかし、である。
そういうことは頭の中でわかっていても、『ちょっと違うよなあ』と思ってしまう場面がいくつかあった。その最たるものは、いくら中城ふみ子が情熱的な感覚の持ち主であったとしても、死の影がひたひたと忍び寄る病室で、余命あと数日という中で「男と寝る」だろうか。
このあたりは「小説だから」と割り切ってしまうことが大事なのかもしれないし、そもそも過去の出来事を現在の人間が、その行動のみならず心理状態まで正確にト レースすることなど不可能である。そうであれば、あらゆる場面で『こんなことがあったかもしれない』と、読み手も大胆な想像をするのがいいのかもしれない(もちろん、実際にそんなことがあったかもしれないので、これはあくまで読み手の想像に過ぎない)。
ちなみに、中城ふみ子の病は乳がんで、転移によって両の乳房を切除するも、それでもがんの転移は止まらず、これが死を早める原因になった。
なお、帯広市図書館のホームページに中城ふみ子を紹介したページがある。
小生、このページで初めて、中城ふみ子の顔を見た。
金沢さんのサイン |
蛇足ながら、太宰治の小説の中にも『冬の花火』って、あったよなあ。そしてこれも、ある意味エッチだったような・・・。(下品な表現失礼)
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