2013年7月31日水曜日

予想以上

昨日実施した3年生以上の科目の採点終了。

予想以上にできていてホッと一安心。
平均点は60点台後半。狙いどおりの平均だった。

ただ、どうして成績が悪いゼミ生がいるの?
「ゼミ生だからといって成績のかさ上げはしないからね」と釘を刺していたのだが、ゼミ生の数名がひときわ目立つほど悪い。
もちろん容赦しない評価にしたけれども。(苦笑)

2013年7月30日火曜日

遅延のおかげ?

今日も娘の話。

英国への入国は以前にも増して厳しくなった、というのはずいぶん前に聞いた。
とくに研究者であろうとも、1年間の滞在のためには、事前に日本でビザを取得しなければならなくなったそうだ。我々のときには入国審査時にビザをもらうという形だったので、まったくシステムが変わってしまったらしい。

娘の場合は6ヶ月以内の滞在なので、事前のビザ申請は不要で以前と同じく入国時に審査を受けてビザをもらうだけで良かった。
しかし、そうなると『ちゃんと希望する期間のビザがもらえるか』が心配になる。
こちらの希望は6ヶ月のビザ。予定滞在期間はそれより短いが、1ヶ月や3ヶ月のビザでは困る。WEBで情報を収集したり、以前からお世話になっているスコットランドに住むHさんにも相談したり。

その結果、こちらで準備したのは、次のような書類だった。
1.現地の在学証明書(英文)
2.現地の滞在先の滞在証明書(英文)
3.銀行口座の残高証明書(英文)
4.帰りのチケット
5.トラベラーズチェック(ポンド建て)

「いいか、これにパスポートを添えて審査官に見せなさい。そうすればきっとうまく行く。」

結果は、といえば、結局パスポート以外、見せなかったそうだ。(笑)
ランディングが90分も遅延していたこともあり、本人は疲れもあったのだろう、とりあえずパスポートを先に出していくつかの質問に答えただけで6ヶ月のビザをもらえたとのこと。
国際空港とはいえ、90分も待たされたため、担当の審査官も早く帰宅したかったのかもしれない。
結果的にあっけないほどスムーズに入国できたようだ。結果オーライ。




まあ、小生が入国した空港の審査官も「らしくない」審査官で、書類を見て1ヶ月おまけしてくれてさっさと13ヶ月のビザをくれたっけ。

2013年7月29日月曜日

Scrap and Build

何気なく文科省の大学の学部等の設置届出を眺めている。
今年(2014年4月開設分)は4月分と5月分が公表されているが、大学の学部の新設届出は4月11大学、5月3大学。
文科省の届出状況の公表は12月まで毎月続くので今後も増える。
新設の届出は、ちょっと前に話題になった大学の新設とは違って、学位の種類が変わらなければ、そのまま認められる。

今年の届出分は数が多くないので何とも評価のしようがないが、昨年分(2013年4月開設分)を毎月つらつら眺めていると、一見して明らかなことがある。

複数の学部を廃止し、新設学部数は現行の学部数より減らし、それに伴って入学定員も削減する。
つまり2学部を廃止し、1学部とし、2学部で200名だった入学定員を150名にする、というわけだ。

学部を増設するのではなく、既存学部を廃止することで新しい学部を作る。
いうまでもなく、スクラップ・アンド・ビルド。

スクラップ‐アンド‐ビルド【scrap and build】
(1)古くなった設備を廃棄し、新しい設備を設けること。
(2)組織の新設に際して同等の既存組織を改廃し、全体の規模の膨張を抑制すること。「―方式」[広辞苑第6版]

それに伴って、学部に設置する学科も影響を受ける。
2学部4学科だったものは、1学部4学科のままというところもあるが、1学部3学科に減らすところもある。大胆に4学部8学科を1学部にして、学科を8つ配置したり、5つに減らしたりするケースもある。
大袈裟にいえば、大学に学部をひとつだけ設置して、その中に多様な学科を配置するようなスクラップ・アンド・ビルドである。

これはいったい何を物語るのか。
受験生は、もはや、細分化された学科は選べない、大きなくくりで学部だけを決める、しかもどの大学で学ぶのかだけが重要、ということのように思われる。

もちろん、受験生が学科までちゃんと選定して受験してくれるとは限らないので、学部が大事、あるいは大学名が大事ということは分かる。かつては(小生が受験生だった頃は)そういう傾向が強かった。どの大学で学ぶのかが重要で、学部はどこでもいいという受験生は多かったように思う(小生の友達がそうだっただけか)。
そうしたことを思うと、その後の大学のあり方(多様な学部学科構成)は、やり過ぎ感すらあるので、元に戻りつつあるということもできる。

であれば、 何も動かない大学はそれでいいのかという問題が出てくる。
妙案は思い浮かばないが(いや、ちょっと腹案はあるのだが)、決してこのままでいいということにはならないだろう。

ほら、ダーウィンもいってるでしょ、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。」と。


授業最終日Part.3

今日は前期授業終了日。
そして小生の授業はⅤ講目なので、Ⅵ講目がない所属学部では最後の最後に授業を行った一人(どうということはないが)。

今日も「たくさん勉強してください」と力説。
今日の授業は、半数が1年次生なので、ここで手を抜くことを覚えてしまうと取り返しの付かないことになってしまう。何でも最初が肝心なので、「テキスト持ち込み可といってもそんなに甘くはないよ」と叱咤激励。

今日はこの授業のまとめの意味で、総合的な問題を解答してもらい、それについて解説をした。
しかし、30分の解答時間中に机間巡視をすると、ほとんどできていない受講生もチラホラ。というより少なくない。これは担当者としてはかなりショックではある。
なので、解説ではくどいほど説明したが、それでわかってくれたかどうか。

自分のことを振り返ると、今担当している科目と同様の科目にまじめに取り組んでいたかといえば、それは嘘になる。通常の授業時間中は何が何だか分からない、というありさまだったような気がする。ただそれだからこそ、試験1週間前から猛烈に勉強した。試験の前日は徹夜に近い状態まで復習したんだけどなぁ。

今の学生さんにも同じことを期待したい。とくに「全然分からない」という受講生はこれから試験までの1週間は、最低でも「何となく分かる」状態まで勉強して欲しいと思う。
他の科目も試験があるので、この科目だけに時間を割くわけにはいかないだろうが、どの科目も手を抜かずに復習して欲しいと、切に願う。

皆さん、頑張ってくださいねー。

2013年7月28日日曜日

時の流れ

長女がスコットランドに行って1週間。

往時とはかなり勝手が違っているので戸惑いも感じるが、やっぱりインターネット環境の進展には感謝である。

娘が搭乗した飛行機はflightradar24やflightawareでほぼリアルタイムで追跡できた。
しかも空港の離発着の時刻も各空港のホームページで確認できた。




ただ、トランジット空港(CDG)から最終目的地(EDI)までのフライトに突然90分の遅延が発生し(理由は不明)、目的地到着が23:00になった。この遅延情報は現地で娘がステイさせてもらうHさんからもたらされたが、それはFBのメッセージ機能を利用してのものだった。




また、娘からは持参したスマホでトランジット空港の待ち時間に、そして最初に泊まるホテル到着時に、写真とともにメールで情報がもたらされた。 海外パケホを利用しているとはいえ、これまた広い意味でインターネット環境の進展がなせる技だ。

さらに現地からは最初の2~3日は海外パケホを利用したが、ステイ先のWi-Fiが利用できるようになって無料で情報のやりとりができるようになった。LINEを通して家族たちとチャットもでき、画像も見ることもできている。
娘は、スマホ以外にPCとiPod touchも持参したが、Wi-Fiが使えるようになって、iPod touchが想像以上に使い勝手がいいらしい。

小生がスコットランドに滞在した1999-2000年は、ケータイなどなかったし、インターネットはPCオンリーだった。しかも自宅ではインターネットを利用するために、わざわざ電話の回線コードをPCに差し替えて利用した。電話回線はISDN回線だったため(たぶん)、できることはメールチェックぐらいで、ホームページで情報を得るためには、大学のLANにつなぐ必要があった。これも利用申請をし、専用のコネクタを使ってPCの設定をし、と、結構時間がかかった。それでも毎日のメールチェックが楽しかった思い出として残っている。
それが今では、お金はかかるもののスマホを使えばリアルタイムでやりとりできるし、Wi-Fi設定さえできれば、スマホでもPCでも簡単にインターネットにつながるようになった。まさに情報インフラのこの10年の進展は目を見張るものがある。

とはいえ、トラブルがないわけではない。
先にも書いたが海外パケホを使えば難なくスマホは使える。ただ従量制とはいえ、1日上限2,980円は高い。これはあくまで非常事態への備えであり、普段は使いたくないと思うもの(使わなければ海外パケホ料金はかからない)。
なので娘もWi-Fiを利用してスマホでメールを使おうとトライしたが、「メールの送受信ができないよ~。」
スマホを利用してWi-Fi経由でメールの送受信をするためには一手間必要だった。
これなどは、日本にいるときにケータイショップからアドバイスしてもらわなければなかなか気付かないこと。
知っていれば、あるいは日本でもWi-Fiを利用してメールの送受信をしていれば、何の問題もないことなのだろうが、知らない、利用していない者にとってはちょっとパニックに陥るだろう。
これをどうやって解決したかといえば、LINEでのチャット。(笑)
時差の壁はあるが(-8時間)、こちらはPCで検索しながらその結果をPCにインストールしたLINEを使って伝え、娘はスマホ(かiPod touch)のLINEを使ってやりとり。

プログレッシブな取り組みとしては、現地でプリペイド式のSIMカードを買って利用すること。
それとともにこちら側の料金を可能な限り最小限に抑えた契約にすることだが(これまたホームページで変更できるし)、それを実行するかどうかは娘の意思次第。

わが娘、料金が高くなることを気にしているのだが、日本のスマホを持ち出しているということは、日本のキャリアの利用も想定していることだし(行き帰りの日本の移動時の利用など)、使い慣れているスマホを利用したいということであれば、多少料金が高くなるのは仕方ないと割り切るしかない。

ちょっと前に、米国に留学した学生さんに聞いた話では、契約関係は聞かなかったが(S社だったので)、彼女は日本のケータイを持ち出して、現地ではもっぱらWi-Fiを使っていたそうだ。 それで1年間十分だったとも語っていた。
もし本当に通話・通信料を抑えようとすれば、契約を解除してSIMカードを返しスマホだけを持ち出すことだろう。あとはそのスマホでひたすらWi-Fiを探して通信すれば費用ゼロ(場合によっては現地でSIMカードを買う)。
でもそこまで割り切れないのが学生さんなんだろうね、きっと(我が娘を含めて)。

うーん、いろいろ勉強になるなあ。
この知識、自分で試してみたくなるなぁ。


2013年7月27日土曜日

AAG

今夜は、何回目かのアカシア会。
記憶によれば、小生が大連から戻ってきてから定例化された。なので10回を超えているはず。ちなみに、初期の幹事は小生だったので、記憶に残っている。

今夜は交流教員を含めて8名が参集。しかも久しぶりに小生が幹事。
退職された先生も出席してくれてうれしい限り。

というわけで、奇をてらってイタリアン。(笑)

いろいろ昔話に花が咲いたが、この中で聞いた単語がAAG。
正確にはA.A.Gと綴るらしいが、音で聞けばAAG。
してAAGは何かといえば割り勘のことをこう表現するらしい。もっとも、中国では割り勘なる慣習はなかったので、最近の若者が好んで使う用語という。

「AAGは何の略?」と訊いてみたが、交流教員も知らなかった。
帰宅後、ウィキで調べてみると、どうやらAAGではなくAA制というのが本当らしい。それの亜流がAAGか。

All Average

たしかに今日もAAGだった。

長丁場

昨日は午後から学外の会議に出席した。
この会議、ある公的な事業にかかわるもので、現地視察付き。
なので、13時から始まって終了は19時。
最後に採否を決定。

いわゆるまちづくりの場にはハード面(建物)とソフト面(しくみや人)があるが、今回の一連の会議に参加して改めて実感したことは、まちづくりにはやっぱり「人」が大事ということだ。
しかも一人では、絶対にいけない。あえて「絶対に」というのは、一人でステキな活動をしている人はいても、そしてそれを認め評価してくれる人がいても、やっぱりまちづくりにはならない。一人の熱い想いは大事だが、その想いを共有し、支援し、積極的に関わり合ってくれる人がいなければ、単なる自己満足で終わってしまう。

だから、チームが重要だ。
以前(といっても院生時代)、英国の研究者の論文を読んでいて「チーム」という概念がキーワードとして使われていた。いわく「企業活動はチームである。だからそのチームの活動を写像として表す計算書が必要である。」
小生の研究では結構重要な考え方で、『なるほど、そういう見方もあるな』と感心した記憶がある。

まちづくりもこれと同じ。
いや企業より、もっとチームが重要。
・・・ということを実感した事業だった。

それにつけてもだ、会議終了後の打ち上げ。
大いに盛り上がった。

チームH

チームワークがいい証拠だな。
自画自賛、我田引水。(苦笑)


2013年7月26日金曜日

授業最終日Part.2

今日は金曜日の授業の前期最終日。

この授業でクイズの解答と解説をしながら試験の傾向と対策をひとしきり。
最後に課したクイズは総まとめ的内容で、これまで扱ってきた内容を出題したのだが、予想以上にできが良くなかった。ガックリ。

つらつらと考えてみるに、小生(の年代?)と今の(少なくない数の)学生さんとの本質的な違いは、パーフェクトに準備をしようとするかどうかの違いのような気がする。

たとえば検定試験。
100点満点中70点以上が合格であれば70点取れる勉強をすればいい。
しかし確実に70点取れるとは限らないので、100点を目指して勉強する。結果的に70点になることはあるが、それは100点を目指していたから70点取れたといえるわけで、70点を目指していれば69点で不合格の可能性がある。もったいない。

この科目ではクイズを3回実施したが、提出しない者もいたし、提出していても「だいたいこんなとこ」という程度の答案もあった。
クイズは全体の20%の評価。
提出してもパーフェクトに点数が取れるとは限らないので、分からないときには友達に訊く、あるいは小生のところに来て質問してくれれば正解にいたるヒントを与えることはできるが、分からないところは空欄のままという答案がある。これまたもったいない。

かくなる上は定期試験(70%の評価)で大いに頑張って欲しいが、試験までの1週間、あきらめたり手抜きをしないで欲しいと切に願う。
くれぐれも『合格できればそれでいい』などと思って欲しくない。
とくに後期の後継科目を履修している人は、この科目の内容が理解できていないと、まったく歯が立たない可能性があるのだから。

・・・というようなことを、最後に優しく語りかけて今日の授業を終了した。

2013年7月25日木曜日

ハオチー

今夜は我々大学院を担当する教員と中国人院生との餃子パーティ。
餃子パーティとはいっても我々は18時に招かれて食べただけ。院生たちはお昼過ぎから準備をしてくれていたそうだ。

それにしてもだ。毎度思うことだが、我々が海外に出て現地の人に日本食をご馳走できるだろうか。
たとえば、日本人以外にもポピュラーなのが寿司。
簡単そうに思えるが、現地で日本米(ショートグレインライス)、米酢を入手することができるかどうか。寿司といえば、ネタより酢飯。欧米なら多少高くても入手できるが、それ以外の国ではどうなのだろう。

それに比べて、餃子は世界中で作ることができる。
小麦粉は世界中で利用されている。餡はそれこそ何でもいいわけだ。
そんなことを考えると、『やっぱり負けだよなあ』と思ってしまう。

今日、院生が作ってくれたのは、白菜と豚挽肉、そしてニラ・エビ・豚挽肉の餃子。
付け合わせの漬け物も色鮮やか。
おいしかったのは、ジャガイモを千切りし、そこに熱した油をかけ、輪切りの鷹の爪を混ぜた副菜。
こんな食べ方、我々にはできないよなあ。



ありがとう。

2013年7月24日水曜日

It's a boy !

22日午後4時24分(日本時間23日午前0時24分)、ロイヤルファミリーに王子が誕生した。将来のキングだ。



それにしても、英国っていう国には驚いた。出産した翌日には退院させるのだから。
日本なら出産後1週間は母子ともに病院にいて、母親には栄養のある食事を食べさせ、赤ちゃんは肥立ちをチェックするのが普通だろう。英国王室なら宮殿内に医療設備が整っていて医師も常駐しているのだろうが、それなら何も市内の病院で出産させる必要もない。
ということは、これが英国では普通のことなのだろう。

そういえば、小生がスコットランドに滞在していたとき、友人宅でテレビを見ていて臨時ニュースが流れたことがあった。それを見た友人は「トニーブレアの奥さん、プレグナンスだって!」

「はぁ?」
「pregnanceだよ、pregnance!」

小生の頭の中にはプレグナンスという単語は入ってなく、日本語の意味を確認して、現役の首相に赤ちゃんが生まれるということにぶっ飛ぶほど驚いたことがある。もちろん、それだけ若い首相だったということもいえるのだが。
王子誕生のニュースを見ながら、なぜかこのエピソードを思い出した。



そして、ロイヤルベイビーが誕生したその日の深夜11時、長女は、スコットランド、エディンバラ空港に到着した。

2013年7月23日火曜日

出版社と打ち合わせ

今日午後、テキストを出版していただいたA氏が来た。
担当を変わるのでご挨拶に、とのことだった。
メールには新しい担当者の名字は書いてあったが、まさかその方が女性だとはおもわなんだ。(笑)
「驚かそうと思って」とはA氏。

ひとしきり話をして、窓の外の風景を紹介。
小生の研究室は、お客様には実に好評。もちろん、学生さんにも好評。

「昨日から飛行船が飛んでるんですよ」といいつつ外を見ると!
ナント、これまではずっーっと遠くを飛んでいたが、今日は勤務先に大接近。
小生はもちろん、A氏も新しい担当者のOさんも写メ。

近づいてくる。

方向転換

帰ろうとする。

帰る。

ちょっと向きを変える。でも遠ざかって行った。


偶然外を見たのだが、なかなかいい瞬間だったようだ。

2013年7月22日月曜日

そろそろ…

8月下旬から9月一杯は学会シーズン。

大きな学会は、例年、東日本と西日本と交互に開催される。
東日本・西日本といっても縦に長い日本列島、しかも当地からはいつも飛行機利用となると、開催大学がどこに位置しているか、かなり気になる。
東日本は東京で、西日本は大阪で、ということであれば、とりあえずは羽田まで、あるいは関空まで、という予定は立つのだが、今年は西日本での開催が多く(ということは来年は東日本が多いのだが)、しかも、それほど簡単には行けない大学での開催が多い。

しかもその合間にそれ以外の出張などもあり、日程調整がしんどい。
そうなると、いきおい、聴きたい報告が多い日を中心にして予定を立てることになるが、これまた簡単に決められるものでもない。知り合いが報告すれば聴いておこうという気にもなるし。

そろそろ学会プログラムが届きつつある。
今月中にスケジュールを確定しなければ。

2013年7月20日土曜日

緊張と弛緩

LAタイムズ文学賞最終候補作
2012年ベスト10小説(米Amazon)
第4回大江健三郎賞受賞
既に7ヵ国語で翻訳!
綾野剛氏推薦

世界中がこの小説に刮目する

これだけ美辞麗句が並べば手に取らないわけにはいかない。しかも会津中将を見事に演じている綾野剛が推薦しているのだし。(笑)

中村文則『掏摸』(河出文庫、2013年6月17刷)

ストーリーは実に簡単である。
東京を仕事場にしているスリ師。このスリ師にかつて一緒に仕事をした木崎から仕事の依頼が来る。3つの仕事を完遂しなければ殺すという。首尾良く仕事ができてもできなくても身の危険に晒されることに逡巡しながらもスリ師は仕事を遂行する。
とはいえ、一頃流行ったピカレスク物というわけではない。

この小説は、実に不親切である。
スリ師自身の生い立ち、家庭環境はもちろん、心の暗部の描写が非常に少ない。幼い頃に見た塔が最後にも「見える」が、この塔が何を暗示しているのかさえ分からない。
サイドストーリーとして展開される売春婦とその子ども。子どももまたスリのまねごとをし、スリ師がそれを思いとどまらせようとするが、ここでもまたスリ師の心情が見えない。やめさせようとしつつ、一方でスリの手ほどきまがいのことまでする。
そして何より、木崎がどういう人物で、なぜ木崎の仕事を断りきれないのかも分からない。
すべては読み手の感じ方次第ということであろうか。190ページほどの小説であるが、ひたすら行間を読まなければならない。

しかしこの不親切さが、スリという行為描写をより研ぎ澄ます。
小説には、スリを描いた場面が何度か登場する。
これは読み手に緊張感を与え、不謹慎ながら、首尾良く行ったときにはホッとする。
たとえば裕福な老夫婦がコンサート会場を後にし帰宅の途に付くためにタクシー乗り場に向かう場面。

 恐らく男の財布はコートの内ポケットにあり、古典的だが正面から少しぶつかるしかないと思ったが、男が暑いと声を出し速度を緩め、コートを脱ごうと自らのボタンを外し始めた。後ろの視線を自分の身体で隠し、老人のすぐ後ろにつく。コートを脱ぐのを女が手伝う前に、終わらせる必要があった。男がボタンを全て外し、コートの胸元を持って正面に開くようにした時、左斜め上から、手を伸ばす。左手の中指と人差し指をコートの左内ポケットに入れ、財布を挟んだ。その時、男の温かな表情とその向こう側にある彼らの柔らかな生活に、自分の指がふれた気がした。財布を上へ抜き取り、自分のコートの袖に入れる。[pp.72-73]

何ということはない描写ではあるが、スリの場面だけはその動きが印象に残る。
しかもこの場面での「男の温かな表情とその向こう側にある彼らの柔らかな生活に、自分の指がふれた気がした。」という感情表現はうまい。

今、これを書きながら急に思ったのだが、この小説の面白さはスリの場面というより、その前後の感情表現や、ところどころに出てくる人生訓、処世術の表現の仕方にあるのかもしれない。
たとえば、読みながらもう一ヵ所ブックマークした箇所がある。木崎がスリ師に意見する場面である。

 お前のように動いている人間が、俺の下には何人もいる。お前はその中の一人に過ぎない。俺の中に入ってくる、あらゆる感情の欠片に過ぎない。上位にいる人間の些細なことが、下位の人間の致命傷になる。世界の構図だ。[pp.150-151]

一言でいってしまえば、トカゲの尻尾切り。切り捨てである。
上位にいる人間には上位なりの思考、行動様式がある。その意にそぐわない下位の者は簡単に切り捨てられる。
それをうまく表現している。

本を読んでいて常々思うことだが(これはお芝居も同じ)、小生、考えさせる内容よりはストーリーの面白さの方が好きである。『ジェノサイド』(高野和明)や『天地明察』(冲方丁)のような両方を兼ね備えた小説は滅多にお目にかかれない。
『掏摸』は、ストーリーの面白さよりは考えさせる内容である。しかも描写が淡泊なためいろいろイメージしなければならない。その点でやや物足りなさを感じた。

こういった内容は、海外の方々には受けるのだろうか(大江健三郎的?)。

2013年7月19日金曜日

熱中できないのはなぜ?

今日からプロ野球のオールスターゲーム。
第1戦はドームということで、テレビ桟敷で観戦したが、どうにもワクワク感を感じなかった。
贔屓の選手もいないし、熱狂的に応援するチームもない。

少年のときにはひたすらジャイアンツを応援していたので、ジャイアンツ選手の活躍を願ってテレビを見ていたが、最近は、ジャイアンツの選手名すら分からないことが多くなった。
かといって他のチームに関心がないかといえば、それなりに情報をチェックしたりする。とりわけ地元チームの勝敗は気になるし、他のチームの動向も気になったりする。

これ、野球を上から目線で眺めているなのだろうな、きっと。
こうなったのも、地上波で野球中継が少なくなったことに起因していると思うが、一方で、若い時代はよくもまあ、毎日毎日、野球中継を見ていたものだとも思う。他にいい番組がなかったとも考えられるが、興味の中心がプロ野球にあったのだろう。
今はゴールデンタイムにいい番組がほとんどなくなったが、野球中継をしてくれれば見るといえるかといえば、その自信もない。

あーあ、熱中できるものがないというのもつらいものだな。
「勉強に熱中しなさい」といわれそうだが、それはいわば仕事なので、熱中するのは当たり前だし。(苦笑)

何か熱中できることを探さなければと思った今夜のオールスターゲーム。

2013年7月18日木曜日

喜んでいいんだろうな、やっぱり。

今日、1週間ぶりに整形外科。
先週、「MRI検査をします」といわれ、今朝の予約を取った。
頚椎だけのMRIなのでしごく簡単。
途中、「ドドドン、ドドドン」とか「ドン、ドン」とか太鼓を叩く音がした。これが共鳴画像を撮っているサインなのかもしれない。
検査時間は15分。

しばらく待ってドクターの診断。
6枚の画像があったが、ドクターはそのうちの1枚を指差して説明。
「ここが潰れていますね。」

何を意図したのかは分からないが、先週、血液検査のための採血もして、今日結果が渡された。
「血液検査では何も問題ありません。」

『そりゃそうだろ』と思いつつもホッとした。
帰宅後、昨年のメタボ検診の結果と突き合わせてみたが、何も変わっていない。基準値から離れているデータはないし、ほぼ誤差の範囲で変わっていない。

頚椎と肩関節の老化だけで、他に異常はないということになった。
注意することは首と肩をいたわること。もちろん、痛みは早々に取りたい。これも以前エントリしたが「病は気から」ということなのか、先週よりかなりいい。たった1週間で改善しているように思えるのでフシギだ(でもまったく痛くならない状態に戻したいのだが)。

聴けば聴くほど老化現象である。
はたして、この結果に喜んでいいことなのだろうか。

2013年7月17日水曜日

FD

今日はFD研修会があった。

FD〖faculty development〗
大学等の理念・目標や教育内容・方法を改善するための組織的な研究・研修などの取り組み。ファカルティー-ディベロップメント。〔アメリカやイギリスで広く行われ、イギリスではスタッフ-ディベロップメントともいわれる〕[大辞林]

「大辞林」では、「大学等の理念・目標を改善するための組織的な研究・研修などの取り組み」と「教育内容・方法を改善するための組織的な研究・研修などの取り組み」というふたつの意味を説明しているが、勤務先ではどちらかといえば後者の意味で使われることが多い。
今日のFDも後者を巡ってのものだった。
(ちなみに、広辞苑にFDは収録されてない?)

司会によれば「(もっと興味深い授業展開をするという意味で)いつもとはちょっと違う」ということだった。

何より面白かったのは、文脈効果。
これはたしかにそのとおり。
やや文脈は異なるが、教員側の知識・経験のレベルと学生さんのレベルは違うので、同じ文脈で物事を考えているはずと思い込むのは禁物だ。「授業が難しい」と感じることの多くは、ここに原因の大半があるような気がした。
とりわけ小生の科目でいえば、学年が上がれば前提となる知識をフル動員しなければならない。こちらとしては「分かっている」という前提で話を進めるが、「分かっていない」場合が多いだろう。本来的な文脈効果とは意味が違うだろうが、これなども文脈効果に連なる事例かもしれない。
いずれにしても、言葉を端折らないことが大事。ただ、前提となる事柄をあまりくどくどと説明すると、それはそれで論点がハッキリしなくなるので、ここが我々の努力のしどころかもしれない。

少しひねた感想を述べれば、講師の担当科目がズルイ。
一般的な興味というレベルで、講師の方の科目内容は学生さんに限らず食いつきやすい。小生とて『面白いなあ』と思ったほどだし。こんな内容で授業をすれば、少なくても小生の科目よりは興味を惹くと思う。

次に、 文章を読む際に、ピアノソロのBGMを入れていたが、これはどんな効果を狙ったのか、ちょっと不明だった。今日の研修会でも2ヵ所でBGMが入っていた。しかもBGMが入る場所では、文章を読むときには少し読むスピードを速めていた。
話に序破急を付けるということは分かる。しかしそこにBGMを入れるのはなぜだろう。
たとえば、トーク中心のラジオ番組ではBGMを入れることが一般的。聴きやすくなる。しかし授業でもそれをやっていいのかという疑問が残る。もしやるとすれば、学生さんに何か作業をさせる際に、ずっとBGMを流すことはいいと思うが(すでに小生もゼミⅡでやっている)、一般の授業でそれが必要なのかどうか。

総じて出席して良かったと思えたが、あまりに弁舌がなめらかだったので、途中で一瞬睡眠学習してしまった。反省。

2013年7月16日火曜日

備忘的に

忘れてはならない情報。

今日、東証と大証の現物市場が統合された。これによって大証に上場していた銘柄が東証で売買されることになった。
今後、東証の市場区分は、第1部、第2部、マザーズ、JASDAQ、TOKYO PRO MARKETの5区分になる。

備忘的にというのは、上場数。
2013年6月30日現在の東証第1部上場数は1,720(8)、第2部は410(0)、マザース185(2)、TOKYO PRO MARKET3(0)、合計2,318(10)だった(東証ホームページ)。カッコ内は外国会社数である。
この数字は多少の増減はあってもこれまではあまり変化がなかったので、「第1部が1,700ぐらいで、1部2部合わせて2,100ぐらい」と説明すれば良かった。

そして今日。
第1部は1,760(8)【37】
第2部は571(0)【162】
マザース188(2)【0】
JASDAQスタンダード852(1)【852】
JASDAQグロース49(0)【49】
TOKYO PRO MARKET3(0)【0】
合計3,423(11)【1,100】
ちなみにカッコ内は外国会社数で、【 】は統合により大証から東証に上場した銘柄数である。
全体の規模としては1,100ほど増加しているので、やはり統合によって上場数が増えたといえる。

しかし、1部と2部だけ見ると、1部1,720→1,760、2部410→571で、2部では161増えているものの、それほど大きく増えたとは思えない。大きいのは、大証にあったJASDAQ市場に上場している銘柄が東証に移動したということで、スタンダード・グロース合わせて901もある。これは東証としては純増である。

ということは、「東証と大証が経営統合して日本取引所グループができた」「上場数は1,000ほど増えたが、そのほとんどが大証にあったJASDAQ銘柄」「第1部が1,800弱で、1部2部合わせて2,300ぐらい」という説明でいいかもしれない。カタカナ名が多くなったということも付け加えるか。

新聞によれば、統合によってシステム費用70億円が節約できるそうなので、コスト削減効果は大きい。

というわけで、後期の授業に備えた情報の更新。


授業最終日Part.1

今日はスッキリにしない一日だった。
晴れ間が見えることもあったが、終日曇りがちでやや蒸し暑さを感じた。

今日は火曜日の授業の前期最終日。
月曜日は29日まで授業があるので、今日が最終日というのが不思議な感覚。火・水・木は、補講がない限り今週に最終日を迎える。
Ⅱ講目の授業は、授業を振り返りながら試験の傾向と対策を話し、最後のCase Studyを考えてもらったので、なおさら終わった感じがしない。だからといって16回目をやるつもりはないのだが。

今日はⅡ講目の授業を終えて学外へ。
勤務先に戻ったのは19時前。
どうしてこんなに時間がかかったのかといえば、現在かかわっている事業の現地調査があったから。
13時から市内3ヵ所を巡り、そこで各1時間弱の聞き取り。
そして本拠地(笑)に戻ってきて意見交換。

さすがに疲れました。

2013年7月15日月曜日

知らなかったなぁ

夕方、西12丁目にバラを見に行く。
ついでに市の資料館にも行く。17時を回っていたので閉館しているかと思ったが、19時まで開館していた。

資料館に入った記憶がないので、もしかすると初めてかもしれない。
あるいは、遠い昔、30年近く前にスキーに来たときに立ち寄ったかもしれないが、内部がどうなっていたのかまったく記憶がないので、来たとしてもサラーっと見ただけだ。

元札幌控訴院

中から見るとこんな風景が広がっている。

現在のものは2006年にリニューアルしたというから比較的新しい。
このときに控訴院時代の法廷を復元した刑事法廷展示室や街づくりの歴史展示室、法と司法の展示室などが常設されたらしい。しかも2011年には新渡戸稲造が創設した遠友夜学校記念室も加わったという。
結構駆け足で見たがそれでも50分程度かかった。

そして驚いたのは、ここに、おおば比呂司記念室まであるということ。
おおば比呂司といえば、仙台のかまぼこ店の包装紙や京都のおたべの包装紙、そして地元のわかさいもの包装紙の絵が有名だが、小生にとっては、A社の広告や機内誌に描かれていた絵が印象深い。
そのおおば比呂司の絵画はもちろん、書斎の復元まである。
ジャンボを描いた絵を欲しかったが、衝動買いしそうになるのを何とかこらえた。

こんな見応えある施設が無料で公開されているなんて驚き。
文化水準の高さに乾杯。

最高の仕事日和

今日は海の日である。

うみ‐の‐ひ【海の日】
国民の祝日の一つ。7月の第3月曜日。海の恩恵に感謝し海洋国日本の繁栄を願う日として1995年に制定され、96年から施行。[広辞苑第6版]

『海の記念日はどこに行った?』と思ったら、海の記念日が海の日に「横滑り」したようだ。祝日に昇格したとも考えられるが、海の記念日が明治天皇由来であるとすれば、海の記念日は7月20日のままだし、海にかこつけてハッピーマンデーに合わせて移動させ、一応、記念日ではないので海の日にしたと考えたり…。

で、朝からすこぶるいい天気だった。
お昼頃には近所のBBQのいいにおいが漂ってきたりして、思わず「我が家も」と思ったが、夜に用があったのでBBQはお預け。

でもって、授業もそろそろ大詰めだし、定期試験も近いし、ということで朝からお仕事。
小生の仕事部屋は午後になると西日に近い日射しがあるので(研究室と一緒)、午前中からお昼過ぎぐらいまでが勝負。
ただ、その日に着手したことはその日のうちに一区切り付けたいわけで、そうなると暑くても我慢して仕事し続けることになる。

というわけで、海の日とはまったく無縁の一日だった。
あ、沖縄ソングスを聴いたか。

2013年7月14日日曜日

どんだけ入れてんのよ?

おささらない騒動完結。

娘のもとにケータイショップに預けていたスマホの修理が終わったとの連絡が入ったという。
そこで三度(みたび)ケータイショップへ。

前に対応してくれたお姉さんが修理・交換した箇所を説明してくれたまでは良かった。

「代替機からスマートフォンにデータを移し替えますよね?」
「はい。」
「前の時もそうでしたが、データが多いので時間がかかると思います。お待ちになりますか?」

以前、壊れたスマホから代替機にデータを移行するのに1時間程度かかっていたので、一旦自宅に戻ることにし、移行が完了したら電話をもらうことにした。
帰りには「前よりデータが少ないので早いかも」と娘。

帰宅後、1時間経っても連絡がない。
もうすぐ2時間というときに用があって外出。
するとそこに着信音。

「すいません。すでに電話帳などのデータの移行は済んでるのですが、メールと画像の移行が終わってません。メール7,000件、画像4,000件で、まだ半分ぐらいです。」
「ええっっっっっ!」

娘に聞けば、代替機を使っている期間中、学祭準備があり、しかも学祭があり、メールのやりとりを頻繁に行い、「写真をガンガン撮った」という。

小生の感覚からすれば、いらない画像は定期的に削除するか、あるいは必要なものはPCに入れて本体を身軽にすると考えるのだが、我が家の女子高生はそんなことはまったく考えないらしい。なので、代替機に新たに追加されたメールや画像も含めての移行に時間がかかってしまうわけだ。

「あのなあ、定期的にバックアップしないと、こうしたトラブルの時に困るのは自分自身だよ。」

壊れるかもしれない機器にそんなに画像を入れておくなんて、信じられない。しかもメールが7,000件というのは何かの間違いであって欲しいと願いたい数字だ。
でもスマホってどれだけストレージ容量があるのだろうか。

結局、作業終了の電話が来たのは、最初にケータイショップに行ってから4時間30分後だった。

2013年7月13日土曜日

郵便局

郵便局が好きだった。
昔々、一人で旅をしていたとき、絵はがきを買って最寄りの郵便局に行って切手を買い、それをポストに投函する。遠いところから自宅までつながっている差出口が妙に郷愁を誘った。

今でも郵便局は好きである。
海外に出ると、一度は郵便局に行く。
日本の郵便局とは違っているが、絵はがきを買ってポストに投函することは一緒。海を隔てたところから自宅までつながっている差出口が、日本を思い出させてくれる。

堀川アサコ『幻想郵便局』(講談社文庫、2013年5月9刷)

生協の書籍コーナーで企画ものとして展示されていたため、『大学生に読ませたい本なのだろう』と思い、『大学生に読ませたい本とはどんな内容なのだろう』と興味を持った。

主人公は就活がうまく行かない阿倍アズサ。
アズサのもとに大学就職課からアルバイトの誘いが来る。理由はアズサの特技が「探し物」だったこと。アルバイトを求めていたのは登天郵便局。
登天郵便局には、無限に広がる花畑の手入れをする赤井郵便局長以下、妙におかまっぽい青木さん、大男で鬼のような鬼塚さん、郵便配達人で郵便局の大家である登天さんたちが局員として働いている。そして登天郵便局に「功徳通帳」への記帳のためにやってくる人たちがいる。

登天。
天に登る。
幼い頃のアズサは、この郵便局がある小高い山(狗山)に遠足に来た。そこには神社があった。
今は郵便局に変わっている。しかもこの郵便局は、現世からあの世に向かう入口。成仏できて地獄極楽門をくぐり抜ける者がいるかと思えば、成仏できずに郵便局のまわりをさまよう者もいる。これらの人々は、アズサを含む登天郵便局の局員には見えるが、 一般の人たちには見えない。

アズサが登天郵便局で探すのは木簡。登天郵便局では狗山の土地の権利関係を書いた起請文を紛失し、これを巡って、もともとあった神社の守り神(狗山比売:イヌヤマヒメ)との間で一悶着。これを解決するためには木簡が必要というわけだ。そしてアズサはその木簡を見付ける。
しかし物語は幾重にも重なり合った出来事の中で進み、単に木簡騒動だけでは終わらない。
アズサに関係するさまざまな人間が登場し、ストーリーが展開する。

何とも不思議な味の小説である。
この手の話はどこにでもありそうな話ではある。小説だからできる描写もある。
しかし、作家が女性だからなのか、それとも主人公が女子大生だからなのか、逆をいえば小生が男だからなのか、『ふーん、そんな風に考えるものなのか』と思ってしまう。そして結構怖い。とくに、放火によって他殺された島岡真理子が登場するくだりは怖い。(笑)
登天郵便局と狗山比売の戦いは、郵便局の負けで意外なほどあっけなく終わる。神は死者をも上回る能力があるというわけか。

そしてもうひとつ。
島岡真理子にまつわるミステリ風謎解き。
こちらはアズサの遠い親戚であるエリがきりもりする満月食堂の客を中心にして話が進む。登天郵便局とは違った現世が舞台であるにもかかわらず、こちらも夢か現か分からないような展開になる。島岡真理子がなぜ成仏できなかったのかを知りたくてページを先に先にと進める。

郵便局がAからBに郵便物を運ぶ入口であるように、郵便局はまた、現世とあの世をつなぐ入口。
なかなか面白い発想だ。

大学生協書籍部がこの本をオススメしたのは、女子大生を主人公に据えているからなのだろうか。就活がうまく行かなくても、目の前の出来事を笑い飛ばす主人公を見習って頑張って欲しいというメッセージが込められているのだろうか。それとも、非常に軽いタッチで書かれているので、大学生にも読みやすいということなのだろうか。

帯広告を見れば、「読書メーター読みたい本」と「ブクログ文庫本」のランキング1位になったようだ。
いずれにしても夏の夜に読むのにはふさわしい作品ではある。

2013年7月11日木曜日

誤診とはいいたくないが…

数年前、あまりに肩こりがひどいので、スポーツをやっていた子どもが通っていた整形外科に行くと「肩こりですね。」
『だから肩こりといって受診してるのに…』

その場でヒアルロン酸注射をされ、その後は理学療法。
たしかにリハビリを受けていると肩がラクになったので、週に1~2回、空いている時間を利用して肩に関するリハビリを続けた。
それなりに改善も見られたことからサボることもしばしば。

1年前、またまた肩の張りを感じ、しかも手にしびれ。
『こりゃいかん』ということで、その整形外科でレントゲンを撮ってもらうと「頚椎症です」と。
で、薬を処方してもらい、今度は頚椎症に対するリハビリ。

この時期、少々仕事が忙しかったので、リハビリをサボることもしばしば。
「週に2~3回リハビリすることが必要です」といわれても、サラリーマンにそんなに頻繁に通える時間がない。
 それでも薬を飲み、リハビリに通い続けたのだが、どうにも改善しない。ますます症状がひどくなる。

そして先週の木曜日。
ゼミ対抗ソフトボール大会のために練習をしていて、小生も打席に立った。

ビリッ!

バットを振り抜いた瞬間、右腕に猛烈な痛みが走った。

『やばっ!』

早速、整形外科へと思ったが、このまま同じ整形外科に行っても改善しないのではないかと思い、首を専門にしている整形外科を探すと、意外と近くにあることがわかった。
授業や会議などがあって行く機会がなかったが、昨日の午前中、やっと時間が取れたので受診。
初めての病院なので、問診やらレントゲンやら、いちからデータ提供。

出てきた医師は、今まで通っていた整形外科での治療や処方薬について一刀両断。

「首と肩の痛みに因果関係はありません。」
「頚椎症は握力低下に出てきます。」
「肩は肩の痛みで、これは2~3回通ってくれれば、痛みを緩和することができます。」

そして小生の目に前に、2枚の紙を差し出す。
そこに「病名」が印刷してある。片側は「症」(頚椎症のあとにさらに症が付く病名が続く)、もう一方は「炎」で終わる。冷え性、腱鞘炎などと同じ。

「こ、これは…」
「はい、どちらも老化現象です。老化現象によって頚椎の一部が潰れています。またそれとは別にいわゆる肩こりがひどくなってます。」

実に小気味いい説明。
そして最後は、「肩こりの痛みは必ず治ります。」

昨年末、「老化現象ですよと言う医者は信用できる」ということを話題にした本が発売されたが(ということをおふくろに教えてもらった)、まさにズバッと宣言されたわけだ。
そして注射を3本!

昨日の今日でそれほど劇的な痛みの軽減はないが、昨日まで動かすと痛かった方向への痛みが緩和されている。こうなると信じたくなる。病は気から。

でもなんだかなあ。
前の整形外科では首の緩和ケアだけをやっていて、肩こりの治療はおざなりになっていたような気がする。
これって、誤診とはいえないまでも、治療方針が偏りすぎていたような気がするのだが…。

そうそう、今日、ソフトボール大会の本番があった。
ゼミ生が勧めるピンチヒッターを断ったのはいうまでもない。
試合は1-7で敗退。
小生が身を賭してバットを振っても勝てなかっただろう。(苦笑)



2013年7月10日水曜日

激おこ!許さない。

今日も蒸し暑かったなあ。

今日の会議。
小さな確認の質問をしたら、質問の中心ではない部分を捉えて別の委員が大爆発。

大爆発した委員、対案を提示したが、そんなこと、事前に伝えておくべき。その立場にいるのだから。
それにしても元気だなあ。

結局小生の質問など雲散霧消。小生、ある前提を受けての質問だったので、当然前提に関する部分の質疑になれば無視される。

 でも、提案者者も、事前に当該委員を含む会議体でちゃんと説明し擦り合わせしておけば、今日などチャンチャンと終わったはず。それを怠った提案者側も甘いな。

そういえば、また別の時限的委員に選ばれてしまった。
泣きたい…。



2013年7月9日火曜日

会議三昧

今日も暑かった。
夜になっても蒸し暑い。

午前中は授業。
その後は午後から夜にかけて会議が3つ。
会議が3つもあるのは、ほんの数ヶ月前までは珍しいことではなかったが、最近の小生にしては珍しい。

ただ今日の会議はいずれも楽しい会議。
何しろ理不尽な物言いをする出席者がいないのだから。
精神的に、もはや、数ヶ月前の状態には戻れない。戻らない。(苦笑)

2013年7月8日月曜日

激おこ!でも許す。

今日は朝のうち霧が出ていたが、出勤時には晴れ間が広がり、終日暑い一日だった。昨日に引き続き真夏日。

今日の授業で思わず激怒。
一番後ろの席で小生の話も聴かずにスマホとにらめっこしている学生が…。

「話を聴きたくなかったら出て行きなさい!」

小生、他人に迷惑をかけないならば多少のことには目をつぶるタイプ。
すべては自己責任なのだから。
ただ、それも意に介さない学生が散見されるのも事実。
前期の授業も終盤にさしかかり、今までの知識をまとめる重要な内容を採り上げていただけにさすがにスマホを見ている姿を見てカチンと来た。
その学生、しぶしぶ退室。

こんなことがあるとこちらも気分が良くない。
たぶん、教室にいた学生はみな気分を害しただろうが、やっぱり放置したままにはできなかった。

授業が終わって研究室に戻る。
しばらくして学生が訪ねてきた。
研究室に入るなり、「今日は本当にすいませんでした。」と深々と頭を下げた。
退室を命じた学生だった。

謝りに来ることはなかなかできることではない。勇気がいる。
それに加えて、いかにも自らの不明を恥じる様子を見て許すことにした。


やるときはやる、遊ぶときは遊ぶというメリハリを付けて生活しようね。

2013年7月7日日曜日

真夏日

今日は今シーズン初の真夏日だった。
朝から暑さを感じ、お昼前後にはちょっと動くと汗が流れるような感じだった。

こんな日は仕事どころではない。
というわけで、まずは窓ふき。
これはスコットランドで見てカッコ良かったので、自分でもやることにしたのだが、なかなか難しい。10年以上やってるが、職人技には至らず、いつも筋が残る。(苦笑)

次は花壇の雑草抜き。
小さな雑草の葉がたくさんあるので根気がいる。いつも途中で断念。 今日も途中で断念。

最後はグラスカッターで雑草の始末。
今シーズン3回目だが、だんだんグラスカッターを使う間隔が狭まっているような気がする。
そういえば毎年気になる雑草がある。
葉は濃い緑色で大きく、中心から垂直に枝が伸び、白っぽい(黄色か)花を咲かせる。枝はグラスカッターでも容易にははらえない。調べてみるとギシギシという名前らしいが本当のところはわからない。しかし、根を雑草抜きを使って掘り出そうにも、太くて全部を抜くことは不可能。結局途中から折れてしまうので、しばらくするとまた成長してしまう。
これが数カ所あるため、今日は雑草抜きで根こそぎ取ろうとしたが、汗だくになっただけ。

で、ここまでやると、準備は万端。
家のまわりがきれいになったところで、今シーズン2回目のBBQ。
今日は風もなく、日が暮れても暖かだったので、大いに楽しめた。

夏ですなあ。

2013年7月6日土曜日

東日本部会

今日はある学会の東日本部会で苫小牧へ。

ネタはいろいろあるが、すでにお疲れモードなので省略。
そのうちのひとつだけ。

この学会はある意味で研究領域のメインストリームを斜に構えたところから見るということを特徴にしている。
アンチテーゼというほどのものではないが、メインストリームでは扱わない領域を研究している。
そしてそんな領域であるので、実務がどう行われているかを知ることは大事なこと。この学会でも、以前は実務家を招いての事例紹介が多かったが、部会あるいは全国大会に限らず、最近は、視察が組まれることが多くなった。

今日の部会でも、まず、ウトナイ湖の野生鳥獣保護センターでの説明会があった。

実はこの環境が好きだったりする。

その後、日本で一カ所だけのCCS(carbon dioxide capture and storage) 実証施設を見学した。どちらも小生の研究対象からは外れているが、そして直接的に会計学の研究論文が書けるようなものではないが、それでも好奇心が大いにくすぐられる。

4年計画の2年目。地下1,000mの掘削。
実はこれも好きだったりする。沖合3㎞のシーバース

単に発表を聴くだけの学会が、少しずつ変わり始めているような気がした一日だった。

どこでも苦労しているようで。

2013年7月5日金曜日

つながる

一昨日、最初のゼミ生の一人とメールでつながった。

キッカケは、最初に勤務した短大があった地域で発行されているコミュニティ新聞。
そのコミュニティ新聞にゼミ生の顔写真とともにゼミ生が運営している医療法人の増改築の広告が掲載されていた。
あまりに懐かしくなって、その法人のアドレスにメールを送ると、すぐに本人からメールが届いた。

このゼミ生、小生より年上で、しかも女性。
今でいう社会人入学で、 駆け出しの小生からすればなかなかやりにくかった。

あまり詳しくは書けないのだが、彼女は卒業後いろいろあって(あったようで)、それでも立派な経営者になった。それが介護系の医療法人なので、俄然、興味が湧いた。何しろ、非営利法人会計の中でも、医療法人は経営実態が分からないため、会計分野においても実際に迫るのが難しい。
ホームページで会計情報を公開している医療法人(病医院を含む)は極めて少ない。
そうなると研究もままならず頓挫した状態。
しかし、距離的には遠いが、身近に医療法人の理事長がいた。しかも小生の「教え子」である。
時候の挨拶から始まって、お互いの近況を書きながらも、自然に話題は医療法人制度、介護保健制度、社会福祉法人制度に向かってしまう。

聞けば、彼女は大学院でも勉強したそうで、ますます、話が合う。
話が合うといっても同じ意見というわけではなく、問題意識を共有しているといった方がいい。まさに時空を越えて一気に距離が縮まった感じ。

7~8年前に一度チャレンジして頓挫した研究が、ここに来て再開の道が開けたような感じだ。
時間を見付けて、直接話を聴いてみたい。

2013年7月4日木曜日

小さくないかい?

今日は、Ⅴ講目終了後、誘われていたある団体のワークショップに参加。
急いで駆けつけた甲斐があって開始時刻に2分遅刻しただけでセーフ。
見れば、SB研の皆さんも7~8名参加しており、ゼミ生も3年生、4年生それぞれ1名ずつが参加していた。

このワークショップ、住まいの地域ごとに(つまり各区ごとに)参加者を分けて、自分の区の特徴、問題や課題、その解決方法を挙げてもらうという形式。地域ごとに分けるというのは論点がハッキリするので面白い。
ただ、我々教員は椅子の余ったところに入るということになっていて、小生は別の区にお邪魔することにした。

最後にそれぞれ発表したが、いずれも同じような問題提起が並んだ。たとえば「交通の便が悪い」、たとえば「地域資源を活かしていない」などなど。
ま、大学生が考えることはだいたい同じだし、我々大人にしても同じような論点を毎年指摘して終わっているので、あまり大学生を悪くはいえない。

ただ、もう少し夢を語ってもいいのではないかとも思う。
たとえば、小生が口出ししたのはこれ。「交通の便が悪かったら、地下鉄延伸を提案したら?」
一緒のグループの大学生から出た言葉は「財政的に無理でしょう。」
そりゃわかっているが、延伸されたことを考えれば、いろいろな広がりが考えられると思うのだが。何より、長い人生。彼らが生きている間に何とかなるかもしれないと思ってもいいと思う。

ベロタクシーのようなものが描かれていたが言及はなかった。

21時過ぎに終わってその後懇親会ということになっていた。アルコールのあるところに出没する性格にしては珍しいが、 こっそり会場を後にした。他意はない。

2013年7月3日水曜日

いいイメージと悪いイメージ

職業に貴賎はないという。
しかし、いいイメージの職業と悪いイメージの職業はある。

たとえば、弁護士や警官は罪人を懲らしめる、あるいは悪人を捕縛するというイメージがあるため、いいイメージの職業といえるかもしれない(もちろんイメージに個人差はある)。
いいイメージの職業といえば公務員もそのひとつである。
最近では、給料が下げ止まらなくかわいそうなぐらいだが(それだけ高水準だったかもしれないが)、倒産がないので定年まで勤められる、退職後も年金支給で最低限の生活保障が受けられるという点で、学生さんたちの進路として根強い人気がある。

しかし、同じ公務員でも悪いイメージを持たれている公務員もある。税務署の職員である。

高殿 円『トッカン 特別国税徴収官』(2012年5月)

ただただ安定だけを求めて公務員になった鈴宮深樹(すずみやみき)。何かいわれると「ぐっ」と言葉に詰まってしまうためグー子とあだ名されている。この鈴宮の上司が京橋(税務)署の死に神と揶揄される鏡雅愛(かがみまさちか)。鏡は本店(国税庁)から支店(京橋署)に出向している切れ者の特別国税徴収官(トッカン)で、鈴宮は鏡のもとで徴収業務を補佐する新米徴収官である。

この小説は、鈴宮と鏡との関係を中心にして、税金を滞納する個人事業主との攻防、支店内の人間関係、あるいは支店と本店の力関係、そして鈴宮の個人的な生き方を描いた小説である。小説それ自体は軽妙洒脱で緩急を付けた筆使いで一気に読ませてしまう(とはいっても、小生の場合、寝る前に読んでいるのでそれなりに時間はかかったが)。

一言でいえば、面白い。
何が面白いかといえば、やっぱり滞納者と徴収官との駆け引きである。
以前、『マルサの女』という映画(伊丹十三監督、宮本信子主演)があり大ヒットしたが、それに通じるものがある。ただし、『マルサの女』は、国税局査察部による脱税調査を描いたものであるが、『トッカン』は、現に納税義務が発生しているにもかかわらず納税しない、納税できない納税義務者と地元の税務署との関係を描いている点で違いがある。

この小説が読み手を飽きさせないのは、税金を滞納している人物が複数採り上げられ(コーヒーショップを起業した青年実業家、銀座のクラブのママ、零細な町工場の夫婦、クリーニング店や自転車屋の店主、大企業の経営者)、それぞれにサイドストーリーを描いていて、どこかでつながっていることである。

とりわけ印象的なのは、銀座のクラブ<澪>のママ、白川耀子(しらかわようこ)を採り上げた件(くだり)である。明らかに納税できるだけの売上があると思われるのにキャッシュが見つからない。S(差し押さえ)を仕掛けても何も出てこない。仕方なく古い御所車が描かれた着物を差し押さえる。しかしそれは白川耀子にとっては、お金に換えられない大事な思い出の品であった。この着物を取り返すために白川は納税に応じる。ところが、その裏には白川の生い立ちと子どもの頃の友達との悲しい過去が秘められていた。しかも、滞納に絡んで、大企業(製薬会社)の経営者と白川の駆け引きにまで進展する。

そして最後のエピソード。
零細な町工場(プラスチック加工)の夫婦が焼身自殺を図ろうとする現場に立ち会った鈴宮。
ここで鈴宮は嫌われる存在であった税務署職員から慕われる存在に変わる。

小生には、学問領域の関係上、同級生で国税専門官になった者が2名いる。
同級生で国税専門官になった一人と、院生時代に呑んだことがある。
そのとき彼は「なあ、〇〇よ、子どもを抱いた泣いている奥さんを尻目にタンスに『差押(の紙)』を貼るのはつらいぞ」とこぼしていたことを今でも忘れない。彼がどんな動機で国税専門官になったのかは訊かずじまいだったので何ともいえないが、性根が優しいことを知っていた小生も、『彼にとっては大変な仕事を選んでしまったなあ』と思ったものである。

我々納税者から見た税務署職員と職業としての税務署職員とはまったく正反対だ。小生とて、商売人の倅(せがれ)として育ったので、確定申告書の作成に呻吟する親を見て育った。大学生のときには、父親に「会計を専攻しているのだから確定申告書ぐらい書けるだろ」と無茶苦茶なことをいわれた。父親は可能な限り納税額が少なくなるように腐心していた。

本書でグー子も自問自答する日々が続く、『どうしてこんな人を泣かせる仕事を選んでしまったのだろう』と。そして辞表まで準備する。
しかし、最終的にはそれを思いとどまる。零細な町工場の夫婦を救ったこととともに、上司である鏡の境遇を知ったからである。
そこは小説。ハッピーエンドで終わり、読み手もホッとする。これで辞めてしまったらシャレにならない。

小生の教え子にも国税専門官になった学生が複数いる。そのうちの一人は女性。
彼女はどんな風に思って仕事をしているのだろうか。
今度会ったときに本音を聞いてみたい。

2013年7月2日火曜日

紙の節約

紙の節約を標榜して導入した、ある事業のIT化(紙の節約ばかりが目的ではないが)。
これがすこぶる評判が悪い。
先週の土曜日に、いつもは温厚な若い教員が小生に向かって「アレはヒドイ。本当に導入するんですか」と訊いてきた。「やっても実効性はないんじゃないですか、あの形では」ともいっていた。
小生にいわれても困る。もしそう思うのならいずれかの会議体で発言すればいいのだが、そこは若い教員、遠慮しているのだろう。

そして今日。
レターボックスに科目ごとの書類の束が…。
見れば、IT化した事業の実施方法を書いた説明書。これが各科目の履修者数分あった。
すべての科目の履修者分を印刷したのだろうが、これじゃ、紙の節約にはならない。むしろ前の方が文字数も少なかったので、インク代が余分にかかっているのではないかと思うほどだ。

これがいかに無駄が多いことであるかを考えているのだろうか。
たとえば小生の科目を3科目履修している学生さんは、最初こそ読むだろうが、次の科目で配られた説明書は読まないだろう。3科目目ともなると、「いりません」といわれそうだ。

それだけではない。
前の方式では配付された用紙に記入してもらって回収できたから良かったが、今度は説明書きだけだから読み終わればゴミ箱にポイである。3科目で3枚。
履修科目数が10科目であれば10枚をポイ。しかもこれがすべての学生さん共通の行動になることが明らか。さらに履修放棄などで余った説明書もポイ。

発案者からすれば「誰がどの授業を最初に受けるか分からないし、欠席する場合もあるだろうから、全員に配るしかない」というかもしれないが、それは短絡過ぎる。

たとえば、事前にアプリを作っておいてそれをダウンロードさせる。1回で済む。
たとえば、本人のアドレスにURLを配信しておく。通常使うアドレスは知っているので。

「アプリの製作にはお金がかかる」というかもしれないが、マスターをひとつ作ればいいわけで、学生数で割れば微々たるものだろう。しかも数年使えるのだろし。
「本人のアドレスに配信すると時間がかかる」と反論されるかもしれないが(事実、すべての学生さんに配信するとなると最低3日、4日かかる)、大事な事業であると考えればそれも織り込み済みで実施すべきなのではないか。

大いに改善の余地ありってことですな。

ああ、何といったっけな、こんなとき使う言葉…

羊頭狗肉?

IT苦肉か。




2013年7月1日月曜日

今日から7月

文月である。

ふ‐づき【文月】
(フミツキの略)陰暦7月の異称。ふつき。[季]秋[広辞苑第6版]


季語が秋とはねぇ(もともと陰暦ですが)。

授業も残すところあと1ヶ月。
今日もI先生と話したことだが、気が付けばあと1ヶ月といった感じで、かつて12~13回の授業で済んでいた時代と感覚的にはあまり変わらない。
15週厳格適用以前は『あと2回しか授業がない』と最終回に向けて授業内容を調整したものだが、現在は7月最終週まで授業が組まれているのでそんなに焦ることはなくなった。
やらねばならないことはたくさんあるわけだ。

ただ、やや心配なこともある。
授業回数は多くなれば、それだけ取り扱う内容も多くなる。今日の授業でも話をしたのだが、本当に消化し切れているか心配。

『復習か練習問題を多くやればいいじゃないか』という声も聞こえてきそうだが、すでにそれなりに授業計画に組み込んでいる。しかもクイズ(宿題)も課している。家人に「大学でそんなこともやっているの?」といわれる始末。
同じことを別の科目でもやっていると考えると、中には消化不良の学生さんがいてもおかしくない。
『大学は自分で勉強するところ。ついて来られなければ置き去りにしてもいい』という声も聞こえてきそうだが、そう簡単に割り切れるものではない。大学の大衆化が進んだ現在、ついて来られるような配慮が必要。

「アメリカの大学では宿題が大変」という体験談はよく聞くが、そして宿題は大事だとは思うが、卒業単位数というより履修科目数が重要であると聞いたことがある。しかも各セメスターで4科目や5科目でいいとも聞いたことがある。であるとすれば、日本の大学より科目数が少ないことが予想できるので、そうなればひとつの科目で深い勉強ができる。
日本は科目数より卒業単位数が重視され、卒業単位数124単位であれば62科目(2単位換算)。各セメスターで7科目以上を履修しなければならないし、単位を取得しなければならない。
これはやっぱり過重なのではないかと思う。

書道の上達を願ったことに由来する文月。
残り1ヶ月は一所懸命頑張って欲しいと思いつつ、叱咤激励しながら授業をしておりました。