FD〖faculty development〗
大学等の理念・目標や教育内容・方法を改善するための組織的な研究・研修などの取り組み。ファカルティー-ディベロップメント。〔アメリカやイギリスで広く行われ、イギリスではスタッフ-ディベロップメントともいわれる〕[大辞林]
「大辞林」では、「大学等の理念・目標を改善するための組織的な研究・研修などの取り組み」と「教育内容・方法を改善するための組織的な研究・研修などの取り組み」というふたつの意味を説明しているが、勤務先ではどちらかといえば後者の意味で使われることが多い。
今日のFDも後者を巡ってのものだった。
(ちなみに、広辞苑にFDは収録されてない?)
司会によれば「(もっと興味深い授業展開をするという意味で)いつもとはちょっと違う」ということだった。
何より面白かったのは、文脈効果。
これはたしかにそのとおり。
やや文脈は異なるが、教員側の知識・経験のレベルと学生さんのレベルは違うので、同じ文脈で物事を考えているはずと思い込むのは禁物だ。「授業が難しい」と感じることの多くは、ここに原因の大半があるような気がした。
とりわけ小生の科目でいえば、学年が上がれば前提となる知識をフル動員しなければならない。こちらとしては「分かっている」という前提で話を進めるが、「分かっていない」場合が多いだろう。本来的な文脈効果とは意味が違うだろうが、これなども文脈効果に連なる事例かもしれない。
いずれにしても、言葉を端折らないことが大事。ただ、前提となる事柄をあまりくどくどと説明すると、それはそれで論点がハッキリしなくなるので、ここが我々の努力のしどころかもしれない。
少しひねた感想を述べれば、講師の担当科目がズルイ。
一般的な興味というレベルで、講師の方の科目内容は学生さんに限らず食いつきやすい。小生とて『面白いなあ』と思ったほどだし。こんな内容で授業をすれば、少なくても小生の科目よりは興味を惹くと思う。
次に、 文章を読む際に、ピアノソロのBGMを入れていたが、これはどんな効果を狙ったのか、ちょっと不明だった。今日の研修会でも2ヵ所でBGMが入っていた。しかもBGMが入る場所では、文章を読むときには少し読むスピードを速めていた。
話に序破急を付けるということは分かる。しかしそこにBGMを入れるのはなぜだろう。
たとえば、トーク中心のラジオ番組ではBGMを入れることが一般的。聴きやすくなる。しかし授業でもそれをやっていいのかという疑問が残る。もしやるとすれば、学生さんに何か作業をさせる際に、ずっとBGMを流すことはいいと思うが(すでに小生もゼミⅡでやっている)、一般の授業でそれが必要なのかどうか。
総じて出席して良かったと思えたが、あまりに弁舌がなめらかだったので、途中で一瞬睡眠学習してしまった。反省。
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