職業に貴賎はないという。
しかし、いいイメージの職業と悪いイメージの職業はある。
たとえば、弁護士や警官は罪人を懲らしめる、あるいは悪人を捕縛するというイメージがあるため、いいイメージの職業といえるかもしれない(もちろんイメージに個人差はある)。
いいイメージの職業といえば公務員もそのひとつである。
最近では、給料が下げ止まらなくかわいそうなぐらいだが(それだけ高水準だったかもしれないが)、倒産がないので定年まで勤められる、退職後も年金支給で最低限の生活保障が受けられるという点で、学生さんたちの進路として根強い人気がある。
しかし、同じ公務員でも悪いイメージを持たれている公務員もある。税務署の職員である。
高殿 円『トッカン 特別国税徴収官』(2012年5月)
ただただ安定だけを求めて公務員になった鈴宮深樹(すずみやみき)。何かいわれると「ぐっ」と言葉に詰まってしまうためグー子とあだ名されている。この鈴宮の上司が京橋(税務)署の死に神と揶揄される鏡雅愛(かがみまさちか)。鏡は本店(国税庁)から支店(京橋署)に出向している切れ者の特別国税徴収官(トッカン)で、鈴宮は鏡のもとで徴収業務を補佐する新米徴収官である。
この小説は、鈴宮と鏡との関係を中心にして、税金を滞納する個人事業主との攻防、支店内の人間関係、あるいは支店と本店の力関係、そして鈴宮の個人的な生き方を描いた小説である。小説それ自体は軽妙洒脱で緩急を付けた筆使いで一気に読ませてしまう(とはいっても、小生の場合、寝る前に読んでいるのでそれなりに時間はかかったが)。
一言でいえば、面白い。
何が面白いかといえば、やっぱり滞納者と徴収官との駆け引きである。
以前、『マルサの女』という映画(伊丹十三監督、宮本信子主演)があり大ヒットしたが、それに通じるものがある。ただし、『マルサの女』は、国税局査察部による脱税調査を描いたものであるが、『トッカン』は、現に納税義務が発生しているにもかかわらず納税しない、納税できない納税義務者と地元の税務署との関係を描いている点で違いがある。
この小説が読み手を飽きさせないのは、税金を滞納している人物が複数採り上げられ(コーヒーショップを起業した青年実業家、銀座のクラブのママ、零細な町工場の夫婦、クリーニング店や自転車屋の店主、大企業の経営者)、それぞれにサイドストーリーを描いていて、どこかでつながっていることである。
とりわけ印象的なのは、銀座のクラブ<澪>のママ、白川耀子(しらかわようこ)を採り上げた件(くだり)である。明らかに納税できるだけの売上があると思われるのにキャッシュが見つからない。S(差し押さえ)を仕掛けても何も出てこない。仕方なく古い御所車が描かれた着物を差し押さえる。しかしそれは白川耀子にとっては、お金に換えられない大事な思い出の品であった。この着物を取り返すために白川は納税に応じる。ところが、その裏には白川の生い立ちと子どもの頃の友達との悲しい過去が秘められていた。しかも、滞納に絡んで、大企業(製薬会社)の経営者と白川の駆け引きにまで進展する。
そして最後のエピソード。
零細な町工場(プラスチック加工)の夫婦が焼身自殺を図ろうとする現場に立ち会った鈴宮。
ここで鈴宮は嫌われる存在であった税務署職員から慕われる存在に変わる。
小生には、学問領域の関係上、同級生で国税専門官になった者が2名いる。
同級生で国税専門官になった一人と、院生時代に呑んだことがある。
そのとき彼は「なあ、〇〇よ、子どもを抱いた泣いている奥さんを尻目にタンスに『差押(の紙)』を貼るのはつらいぞ」とこぼしていたことを今でも忘れない。彼がどんな動機で国税専門官になったのかは訊かずじまいだったので何ともいえないが、性根が優しいことを知っていた小生も、『彼にとっては大変な仕事を選んでしまったなあ』と思ったものである。
我々納税者から見た税務署職員と職業としての税務署職員とはまったく正反対だ。小生とて、商売人の倅(せがれ)として育ったので、確定申告書の作成に呻吟する親を見て育った。大学生のときには、父親に「会計を専攻しているのだから確定申告書ぐらい書けるだろ」と無茶苦茶なことをいわれた。父親は可能な限り納税額が少なくなるように腐心していた。
本書でグー子も自問自答する日々が続く、『どうしてこんな人を泣かせる仕事を選んでしまったのだろう』と。そして辞表まで準備する。
しかし、最終的にはそれを思いとどまる。零細な町工場の夫婦を救ったこととともに、上司である鏡の境遇を知ったからである。
そこは小説。ハッピーエンドで終わり、読み手もホッとする。これで辞めてしまったらシャレにならない。
小生の教え子にも国税専門官になった学生が複数いる。そのうちの一人は女性。
彼女はどんな風に思って仕事をしているのだろうか。
今度会ったときに本音を聞いてみたい。
かなり以前に,証券マンであった大学の後輩と飲んだときのこと。
返信削除(彼)「先輩,証券マンは右手に持った電話で『今が買い時です!』と言い,左手の電話では『今が売り時です!』と言って,売買を成立させるんです。でも,その時はどっちかが損するんですよね。ですから,家を出かける時に自分の良心は玄関において行きます(苦笑)。」
(私)「大変な仕事だね・・・」
いずれの仕事も,何某かの苦労(苦痛)を抱えるものですよね。
(小樽の寅吉)
うーん、うまいことをいいますね。
削除まさにそんなことがありそうですよね。
大学教員が想像以上に忙しく気苦労が多いものだと誰も教えてくれなかったですよね。(苦笑)