2012年ベスト10小説(米Amazon)
第4回大江健三郎賞受賞
既に7ヵ国語で翻訳!
綾野剛氏推薦
世界中がこの小説に刮目する
これだけ美辞麗句が並べば手に取らないわけにはいかない。しかも会津中将を見事に演じている綾野剛が推薦しているのだし。(笑)
中村文則『掏摸』(河出文庫、2013年6月17刷)
ストーリーは実に簡単である。
東京を仕事場にしているスリ師。このスリ師にかつて一緒に仕事をした木崎から仕事の依頼が来る。3つの仕事を完遂しなければ殺すという。首尾良く仕事ができてもできなくても身の危険に晒されることに逡巡しながらもスリ師は仕事を遂行する。
とはいえ、一頃流行ったピカレスク物というわけではない。
この小説は、実に不親切である。
スリ師自身の生い立ち、家庭環境はもちろん、心の暗部の描写が非常に少ない。幼い頃に見た塔が最後にも「見える」が、この塔が何を暗示しているのかさえ分からない。
サイドストーリーとして展開される売春婦とその子ども。子どももまたスリのまねごとをし、スリ師がそれを思いとどまらせようとするが、ここでもまたスリ師の心情が見えない。やめさせようとしつつ、一方でスリの手ほどきまがいのことまでする。
そして何より、木崎がどういう人物で、なぜ木崎の仕事を断りきれないのかも分からない。
すべては読み手の感じ方次第ということであろうか。190ページほどの小説であるが、ひたすら行間を読まなければならない。
しかしこの不親切さが、スリという行為描写をより研ぎ澄ます。
小説には、スリを描いた場面が何度か登場する。
これは読み手に緊張感を与え、不謹慎ながら、首尾良く行ったときにはホッとする。
たとえば裕福な老夫婦がコンサート会場を後にし帰宅の途に付くためにタクシー乗り場に向かう場面。
恐らく男の財布はコートの内ポケットにあり、古典的だが正面から少しぶつかるしかないと思ったが、男が暑いと声を出し速度を緩め、コートを脱ごうと自らのボタンを外し始めた。後ろの視線を自分の身体で隠し、老人のすぐ後ろにつく。コートを脱ぐのを女が手伝う前に、終わらせる必要があった。男がボタンを全て外し、コートの胸元を持って正面に開くようにした時、左斜め上から、手を伸ばす。左手の中指と人差し指をコートの左内ポケットに入れ、財布を挟んだ。その時、男の温かな表情とその向こう側にある彼らの柔らかな生活に、自分の指がふれた気がした。財布を上へ抜き取り、自分のコートの袖に入れる。[pp.72-73]
何ということはない描写ではあるが、スリの場面だけはその動きが印象に残る。
しかもこの場面での「男の温かな表情とその向こう側にある彼らの柔らかな生活に、自分の指がふれた気がした。」という感情表現はうまい。
今、これを書きながら急に思ったのだが、この小説の面白さはスリの場面というより、その前後の感情表現や、ところどころに出てくる人生訓、処世術の表現の仕方にあるのかもしれない。
たとえば、読みながらもう一ヵ所ブックマークした箇所がある。木崎がスリ師に意見する場面である。
お前のように動いている人間が、俺の下には何人もいる。お前はその中の一人に過ぎない。俺の中に入ってくる、あらゆる感情の欠片に過ぎない。上位にいる人間の些細なことが、下位の人間の致命傷になる。世界の構図だ。[pp.150-151]
一言でいってしまえば、トカゲの尻尾切り。切り捨てである。
上位にいる人間には上位なりの思考、行動様式がある。その意にそぐわない下位の者は簡単に切り捨てられる。
それをうまく表現している。
本を読んでいて常々思うことだが(これはお芝居も同じ)、小生、考えさせる内容よりはストーリーの面白さの方が好きである。『ジェノサイド』(高野和明)や『天地明察』(冲方丁)のような両方を兼ね備えた小説は滅多にお目にかかれない。
『掏摸』は、ストーリーの面白さよりは考えさせる内容である。しかも描写が淡泊なためいろいろイメージしなければならない。その点でやや物足りなさを感じた。
こういった内容は、海外の方々には受けるのだろうか(大江健三郎的?)。
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