昨夜は、シアターキノで『Workers』を観た。
映画ではあるがドキュメンタリーであり、いろいろ考えさせられる内容だった。
この映画で描かれているのは、ワーカーズコープで働く人々の生きざまとワーカーズコープが運営する施設を利用する子どもたち、お年寄りとのふれあいである。
いうまでもなくワーカーズコープは自らが出資するとともに、自らが労働者となる協同組合。
ワーカーズ・コレクティブ(労働者協同組合:ワーコレ)の存在・活動が社会的企業が脚光を浴びるようになったひとつの要因と捉える見解もあり、その代表的な組織がワーカーズコープ(日本労働者協同組合)である。
映画そのものについていえば、せっかくワーカーズコープという存在を真っ正面から捉えたのだから、組織そのものについても触れて欲しかった。
たとえば、5万円の出資証書は映し出されていたが、ひとつの組織を立ち上げるのにいくらの出資が必要だったのか、最高額はいくらだったのか、脱退する際には出資金は返還されるのかなどなど。全員が平等であるとナレーションが入ったが、それは出資金の上で平等なのか(全員一律出資額)、それとも出資金にかかわらず、仕組みの上で平等であるだけなのか。
また、ワーカーズコープは全国で公共施設の指定管理者となっているが、そのための申請書作りや苦労、スタッフの募集をどのようにやっているのか。
はたまた、給料はどうなのか、年収はどうなのか。労働時間は何時間なのか。
このあたりが分からないと、観ている側はその新奇性だけに目を奪われて盲目的に「スバラシイ」と思ってしまう。
もっとも強く思ったことは、ワーカーズコープの活動を描くことは、歪んだ日本社会を描くことであるという点である。
餅つき大会が行われなくなった町内会、中学の荒れ(に伴う教師の格闘)、育児を相談できない地域、そして介護。映画で描かれた事例は、そのいずれもが今の日本社会が抱える問題である(中学の荒れは元中学教師の回想)。
もし以前と同じように町内会が餅つき大会をやっていたら、もし学校が荒れていなかったら、もし近所付き合いがちゃんとできていたら、もしお年寄りを家族で介護できるのであれば、と思いながら映画を観た。
もちろんこの映画は、「働くかたち」を描いたものであり現在の日本社会をメインに据えたものではない。あくまでも新しい働く形としてのワーコレ、そしてひとつの組織としてワーカーズコープが描かれたに過ぎない。
ただ注意が必要なことは、映画で描かれた活動は、ワーカーズコープの「専売特許」というわけではないということ。
NPOでもまったく同じことをやっているし、NPOで活動する人たちも同じ思いである。
違いは、働く本人が、ワーコレを選ぶかNPOを選ぶかだけ。
なので、小生の隣で熱心にメモを取っていたキミ(学生さんかな)、ワーカーズコープだけがとても「スバラシイ」と思ってもらっては困る。
ワーカーズコープがワーコレの唯一無二の組織ではないし、新しい働くかたちは、他にもある。問題は、本人がどんな働くかたちを選ぶかだろう。
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