「あー、書けない!」
自分の論文ならば何とかひねり出すことができるが、記念誌の原稿はなかなか書けない。まだ締切までタップリ時間はあるが、こんなことだけに関わっているヒマはないわけで、早く終わらせて自分の論文に着手しなければならないのだが…。
というわけで、今朝まで、3日ほどかけて、たまりにたまっていた『八重の桜』を観る。
松平容保が京を追われ、大阪を脱出し(ドラマでは徳川慶喜にそそのかされたことになっている)、江戸へ。そして会津若松での蟄居。
勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城。これにより新政府軍(薩長連合)の矛先は会津へと向かう。
奥羽列藩同盟(のちの奥羽越列藩同盟)を結ぶも白河城が攻め滅ぼされていよいよ戦場は会津若松。
まあ、ドラマでも描かれていたが、200年以上にわたって平和ボケした東北の諸藩の軍備など火縄銃の世界だから、外国軍と戦争経験のある薩摩、長州に勝てるわけがない。
しかし、明らかに劣勢であることを知りつつ、これまた負ければ死を持って散るという精神世界。そこがまた泣かせる。
一部に「万国の公法に従って」という台詞も聞かれるが、こんな言葉を知っていたのは会津では八重の兄(山本覚馬)ぐらいだったのではないか(万国公法については今度呑んだときにでもI先生かS先生に解説してもらおう)。
台詞で「今、白石で諸藩が集まって」と聞いてウルッ。
今でいえば、白石は福島県との県境に近いので、福島に近いが福島ではない。仙台まで60㎞ほどか。これは微妙な距離感。
会津若松には姉が嫁いでいるので、何度か(10回以上だ)訪れている。
しかも小学校の修学旅行は会津若松。(苦笑)
ホテルでおばちゃんたちが踊ってくれた白虎隊をたたえる演舞が目に焼き付いているほど。
飯森山から若松城(鶴ヶ城)を眺めたことも何度かある。
敗者側で育った小生だから敗者側から描いていることに共感できるのだろうな、きっと。
これを薩摩(鹿児島)、長州(山口)の人たちが観てどう思ってるのだろう(観てないか)。
山本覚馬が獄中で「どこで間違ったのだろう」と自問する場面は、まさに歴史の転換点を意味する象徴的台詞。負けるときにはいつも「どこで間違ったのだろう」と思うもの。
原稿が書けない小生。
どこで間違ったのだろう。
ああ、ブログを書いているのが間違いか。
自問自答で納得。
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